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東京高等裁判所 昭和40年(く)11号 判決 1965年5月20日

申立人 福井正雄 外一〇三名

決  定

(抗告申立人氏名略)

右抗告人らは、別紙被疑者名簿記載の小倉謙外四百四十六名を被疑者とする請求人福井正雄外百九十四名の刑事訴訟法第二百六十二条第一項の請求事件について、昭和三十九年九月三十日東京地方裁判所がなした請求棄却の決定に対し抗告の申立をしたので、当裁判所は次のとおり決定する。

主文

本件各抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告代理人弁護士森川金寿外十二名作成名義の抗告状と題する書面に記載されたとおりである。

抗告理由第一について。

案ずるに、刑事訴訟法第二百六十二条第一項のいわゆる審判請求についての審理及び裁判は、同条同項に掲げる罪についての告訴又は告発事件に対する検察官の不起訴処分の存在を前提とし、右事件について告訴又は告発をした者が、右不起訴処分に不服があるがため、当該事件を裁判所の審判に付せられたい旨の請求をした場合になされるものではあるが、元来公訴権は検察官に専属し、被疑事件について公訴を提起すると否とは検察官の自由裁量処分に委ねられ(同法第二百四十七条、第二百四十八条、第二百五十七条参照)、裁判所は、検察官が公訴を提起しないことの当否については判断をなし得ないのであり(昭和二十五年四月二十四日東京高等裁判所判決、高民集三巻一号五八頁以下参照)、従つて、いわゆる審判請求についての審理及び裁判は、検察官の不起訴処分の当否を判断することを直接の目的とする事後審的性質のものではなく、検察官がそれまでになした捜査の続行として、検察官から刑事訴訟規則第百七十一条により送付を受けた書類及び証拠物を検討し、必要があるときは更に事実の取調をしたうえ(刑事訴訟法第二百六十五条第二項参照)、右請求そのものとして理由があるかどうか、即ち事件を裁判所の審判に付するに足るべき犯罪の嫌疑があるかどうかを裁判所独自の見地より判断する公訴提起前の手続であつて(昭和三十二年二月二十二日東京高等裁判所決定、高刑集一〇巻一号八七頁以下参照)、その審理手続の実質は、検察官の捜査に続行する裁判所による捜査に外ならないものと解すべく、抗告人らの主張するごとく、検察官の不起訴処分を審理及び裁判の対象とし、右処分の不当を主張して裁判所に提訴した請求人と右不起訴処分をした検察官とを対立当事者となし、その双方を手続に関与させ、公開の法廷において互いに主張及び立証を尽させ、その結果に基づいて裁判所が不起訴処分の当否を審査し公訴権の行使を是正するという本来の訴訟手続ではないのである(いわゆる審判請求を棄却した決定は、刑事訴訟法第四百二十条第一項の「裁判所の管轄又は訴訟手続に関し判決前にした決定」にあたらないとして、右決定に対し同法第四百十九条による抗告をすることができる旨判示した昭和二十八年十二月二十二日最高裁判所大法廷決定、最刑集七巻一三号二五九五頁以下参照)。

かように、いわゆる審判請求についての審理手続は、対立当事者の存在を前提とする本来の訴訟手続ではなくて、公訴提起前の捜査手続に外ならないものと解せられる以上、その手続を公開し、請求人又はその代理人を手続に関与させ、これらの者に審理の内容や経過を開示することは、被疑者の名誉を傷つけ、延いては捜査の効果を減殺する虞れがあるから、訴訟関係人の訴訟に関する書類及び証拠物の閲覧及び謄写並びに被告人質問及び証人尋問に関する刑事訴訟法第四十条、第二百七十条、第三百十一条第三項、第百五十七条のごとき、公訴の提起によつて両当事者が対立する本来の訴訟関係が存在するに至つたことを前提とする諸規定は、右審理手続にはこれを適用し若しくは準用すべきものでないことはいうまでもない。されば、原裁判所が本件請求についての審理において、請求人及びその代理人に対して、検察官が収集した証拠及び不起訴裁定書を開示せず、原裁判所における被疑者質問、証人尋問等の事実の取調に請求人及びその代理人を立ち会わせず、原裁判所が新たに収集した証拠書類及び証拠物をそれらの者に閲覧及び謄写させなかつた措置には何ら違法の廉はなく、右措置を非難する抗告人らの主張は、その前提において失当であり、抗告理由第一は理由がない。

抗告理由第二の二の(一)について。

国会正門前における学生集団等に対する警察官のいわゆる第三次実力行使にあたつての、右学生集団等の行動及び警視庁第五機動隊(以下「五機隊」と略称する)の行動概況に関する原判示事実は、右事実に対応する原決定挙示の証拠を総合すれば、十分にこれを認定することができ、記録を精査検討しても、右事実認定に誤りがあるとは認められない。しかして、

(1)  いわゆる全学連所属の学生を主体とする学生集団等約三千名が、原判示六月十六日午前一時前後においても、国会正門前において、警備警察側の再三の警告を聞き入れず、同所に繋留してあつた侵入阻止用の自動車十数台を次々に引き出して横転させ、これに放火して炎上させ、国会正門の内側に配置された警備の警察官に対し、石塊、空瓶、木片等を激しく投げ付けて負傷者を続出させ、遂には国会正門の門扉にロープを掛けてこれを引き倒し、以て国会構内に不法に侵入しようとするような暴挙を敢えてしたこと及びいわゆる第三次実力行使は、右の暴挙に対処し、事態の悪化を防止し、被害を最少限度に喰い止めるため、右の集団的暴力行為をやめようとしない国会正門前の学生集団等を排除の対象として実施されたものであつて、同地点から掛け離れたチヤペルセンター前まで後退して静かに夜明を待つていた平和的な学生集団を排除する目的を以てなされたものでないことは記録上明白であり、また、

(2)  原決定が判示しているごとく、五機隊が国会構外へ進出し、その先頭部隊が特許庁横附近において停止するまでの間、国会南通用門(以下「南通用門」と略称する)手前の三叉路附近等において、群衆から投石、投棒、体当り等の暴行を受けて隊員中に負傷者も出たのであるが、右群衆からの暴行は、五機隊が南通用門先の衆議院車庫(以下「車庫」と略称する)前において原判示大学・研究所・研究団体の教職員ら(以下「大研研」と略称する)と遭遇するより前に、国会正門前から五機隊により排除されて逃げて来た学生集団等、即ち大研研以外の群衆の所為であると認められ、原決定は、大研研から投石等の暴行が行われた旨の事実を認定してはいないのであるから、

抗告理由第二の二の(一)は理由がない。

抗告理由第二の二の(二)について。

本件告訴及び告発にかかる被疑事件は、原決定の理由第二の一、被疑事実の項に記載されたとおりであつて、原決定が適法に確定したところによれば、本件で審判に付することを請求されている被疑者は、別紙被疑者名簿記載の小倉謙外四百四十六名中(259)石川俊雄及び(357)菅野治夫を除く爾余の計四百四十五名であり、被疑事実は、別紙被害者名簿記載の(1)ないし(72)、(82)、(92)の計七十四名に対する特別公務員暴行陵虐、同致傷の事実である。

しかして、記録を精査検討し原決定挙示の関係証拠を総合考察すると、被疑者(1)末松実雄指揮下の五機隊が原判示六月十六日午前一時過頃いわゆる第三次実力行使を実施するに当り、国会正門脇の植込みから柵を乗り越えて国会構外へ進出し、恩給局横より衆議院第二会館北門(以下「北門」と略称する)及び南通用門前を通過し、車庫前及び首相公邸前十字路を経て、総理府前から特許庁方面に至る道路上の群衆を排除する部隊行動をとつた際、右道路上、特に車庫前附近において、五機隊所属の警察官四百数十名と大研研の約三百名とが遭遇し、その機会に大研研のうち別紙被害者名簿記載の(1)ないし(72)、(82)、(92)の計七十四名が身体に打撃を受け、(82)斎藤を除く爾余の計七十三名が受傷したのであるが、その身体に対する打撃の大部分は、五機隊所属の警察官の全員ではないが、そのうちのなんぴとかの警棒その他これに類する持物若しくは手による殴打又は足蹴若しくは足払い等の行為であり、従つて、右計七十三名の受傷の大部分は、叙上警察官の行為を直接の原因とするものであることを認め得べく、右の者らの受傷の部位、態様、加療日数、傷害の結果に至らない単なる打撃の部位、態様並びにそれらが叙上警察官の行為に因るものと認められるかどうかの区別は、(9)高橋に関する部分を除き、その余はすべて原決定の認定せるところが相当であり(原決定の認定せる被害者各人別の詳細は、別紙被害事実一覧表記載のとおりであつて、そのうち○印を附したものは、傷害及び身体に対する打撃が叙上警察官の行為に因るとは認められなかつたものを指し、その他はすべて、傷害及び身体に対する打撃が叙上警察官の行為に因ると認められなかつたものを指す)、右(9)高橋に関しては、同人が右の機会に顔面及び腰部の打撲傷を負つたという事実自体に疑いの存することは後述するとおりである。

かように、五機隊所属の警察官の全員ではないが、そのうちのなんぴとかが大研研の計六十四名(前記計七十四名から右一覧表記載に基づき、(8)湯川、(31)田代、(39)野原、(52)立花、(53)岩下、(62)笠原、(63)吉本、(69)安田、(82)斎藤、(92)森岡の計十名を除いた残余の員数)に対し、それぞれ原判示のごとく警棒その他これに類する持物若しくは手による打撃を加え又は足蹴若しくは足払いを掛ける等の所為に出たのは、よしんば、一件記録から窺われるような事由、すなわち、右計六十四名を含む大研研の約三百名が、原判示安保改定阻止国民会議主催の第十八次統一行動に呼応して東京都条例・昭和二十五年第四十四号「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」第二条に基づく届出をしないで車庫前路上において集会を行ない、五機隊が国会正門脇から国会構外へ進出してデモ隊の規制に着手して以来繰り返し何回となく五機隊長(1)末松実雄から、速やかに解散して退去すべき旨の警告を受けながらこれに応じないで同所に滞留せるのみか、うち一部の者はスクラムを組み、旗竿を横に構え、プラカードを掲げる等して五機隊に対峙し、また一部の者は車庫の門扉を乗り越えて車庫内に侵入を企てる等、警察官の規制を阻止するような態度に出た不法、不当の行動があつたにもせよ、右被害者計六十四名に対する叙上警察官の行為の態様及び因つて生じた結果にかんがみると、必ずしも警察官の正当な職務の範囲内の行為であつたとは認め難く、右被害者らに対する限りにおいては、正当防衛若しくは緊急避難の成立すべき事由があつたものとも認められず、個々の加害実行者がなんぴとであるかは別として、その行為自体が特別公務員暴行陵虐、同致傷罪を構成すべきことは明白である。

進んで、本件各被疑者につき、事件を裁判所の審判に付するに足るべき犯罪の嫌疑があるかどうかにつき考察する。

第一、別紙被疑者名簿記載の被疑者らのうち、

(6)川下一磨、(16)加藤仁、(18)山本正一はいずれも五機隊本部付情報係、(24)柳栄祐は同本部付特務無線係として、当時国会構内に駐車中のパトロールカー若しくはラヂオカー内にいて、所轄警備本部、パトロールカー若しくは警備現場等から発せられる情報を受信して五機隊長等に伝達する職務に従事し、

(11)千葉時男は同本部付救護担当者として、当時国会構内に駐車中の広報車内に待機し、

(36)印藤定 (38)高峯求 (39)阿部荘市 (40)若林繁之 (41)山家啓一 (42)関一

(43)岸利平 (44)平山守一 (45)東島治芳 (46)野口孝虎 (47)川中義雄 (48)佐藤弥四郎

(49)高柳盛永 (50)永井敬孝 (51)岩元勉 (52)川口至 (53)村井弘 (54)幸坂孝二郎

(55)満井清治

はいずれも同本部付操車係として、当時国会構内に駐車中の車輛内若しくはその附近にいて、車両の看視に従事し、

(37)有村住弘は同本部付補給係として、当時都内文京区小石川二丁目一番地所在の五機隊本部会計係室に残留し、

(68)藤本健一は、当時病後のため国会構内に留まり、構内に駐車中の車両の看視に従事し、

(228)名達菊次は、事情は詳かではないが、当時都内世田谷区駒場所在の警視庁第三機動隊裏手の寮に残留し、

いずれも国会構外における原判示排除活動には参加しなかつたことが、同人らに対する原裁判所受命裁判官の各質問調書によつて認められ、記録を精査しても、右認定を左右するに足るべき証拠を見出し難いのみならず、同人らが、前叙認定の国会構外における大研研の計六十四名に対する五機隊員中一部の者の加害行為の実行に関与し、また事前にその実行を謀議したことを窺うに足るべき証左も全く存在しないから、右被疑者ら二十七名に関する限り、事件を裁判所の審判に付するに足るべき犯罪の嫌疑はないものといわなければならない。

第二、抗告人らが特に事件を裁判所の審判に付するに足るべき犯罪の嫌疑が十分であると主張する被疑者らのうち、

(一)  (27)山頭修一は、被害者らのうち(9)高橋が顔面及び腰部の打撲傷につき、(18)凉野が頭頂部割創につき、(56)小沢が右肘打撲傷につき、それぞれ自己に対する加害者に似ていると指示する警察官である。

しかし、右(9)高橋に関しては、同人が本件の機会に顔面及び腰部の打撲傷を負つたという事実自体に疑の存することは後述するとおりであり、また(18)凉野に関しては、記録に徴すると、原決定が判示しているごとく、右傷害の受傷原因さえ不明確であるから、この両名の主張する受傷事実に関する限り、右(27)山頭修一を含む五機隊所属の警察官につき、犯罪の嫌疑があるかどうかを審案する余地はないことに帰する。なお念の為め、右被害者両名の供述する加害者の服装及び携行品並びにその行動と右被疑者の供述する自身の服装及び携行品並びにその行動とを対比してみると、

被害者(9)高橋は、首相公邸前の車庫沿いに駐車中の一台目の自動車と塀の間を通り抜け、次の二台目の自動車との間に出たところ、同所において、黒いヘルメツトをかぶり、雨合羽を着用し、白い軍手をはめた警察官から、先ず顔面、鼻、口部を軍手をはめたままの手拳で殴打され、次いで瞬時の後左腰部を蹴り上げられた旨供述し、

同(18)凉野は、車庫前路上において、鉄帽をかぶり、雨合羽を着用せず、制服姿の警察官に警棒で殴打された、その警察官は写真機を手に持つていなかつた旨供述するに対し、

被疑者(27)山頭は、自分は当時鉄帽ではなく、特車帽とかいう、鍔や紐がついておらず、鉄帽よりも青色が薄い部隊ナンバーの入つていないものをかぶり、手拭でマスクをし、雨合羽を着用していたが、五機隊本部付特務写真係として、出動部隊の行動及び相手方の違法行為を撮影することが自分の任務であつたから、手には写真機だけを持ち、手袋ははめておらず、警棒はそもそも着装してさえいなかつた、そして自分は五機隊長(1)末松実雄の後方約五米に位置して車庫前路上を進み、首相公邸前十字路を経て坂下門の手前辺りまで行つたが、車庫前を含む路上において一般人に接触した事実はない旨供述し、

重要な点において両者の供述に明白な不一致のあることが記録上認められるのである。

残る被害者(56)小沢は、原裁判所受命裁判官の面前において右被疑者(27)山頭と対面の結果加害者に二十パーセント位似ている旨供述し、その似ていると見る度合が極めて低いものであるのみならず、右被害者の供述によれば、同人は車庫前路上において、鉄帽をかぶり、覆面をし、雨合羽を着用した警察官に青竹で殴りかかられ、頭を打たれるのを防ぐため右腕をあげたところ、その肘を打たれたといい、右被疑者の前掲供述と重要な点において明白な不一致を示していることが記録上認められ、なお右被害者は、検察官に対する供述調書中においては、自分を殴つた警察官の人相や特徴は、暗かつたうえ、警察官は皆同じような服装をしていたため良く判らなかつた旨供述し、また法務省人権擁護局調査課長宛の陳述書中においても、深夜全く突然に襲われ、逃げるのに一生懸命であつたので警察官の顔は判らなかつた旨記述している位であるから、彼此勘案すると、被疑者(27)山頭が被害者(56)小沢の本件被害事実に対応する加害者として明確に特定されたものとは断じ難い。

(二)  (88)田辺寛は、別紙被害者名簿記載の(128)辻川浩が頭部打撲傷につき自己に対する加害者に似ていると指示する警察官である。

しかし、原決定が適法に確定したところによれば、右(128)辻川の被害事実は本件不起訴処分の対象とはなつていないのであるから、右被害事実に関する限り、右(88)田辺寛を含む五機隊所属の警察官につき、犯罪の嫌疑があるかどうかを審案すべき限りではない。

(三)  (156)宮田頼芳は、被害者らのうち(9)高橋が顔面及び腰部の打撲傷につき自己に対する加害者に似ていると指示する警察官である。

そこで記録に徴すると、

(1) 右被害者が右被疑者と対面の結果加害者に似ている度合は九十九パーセント位といつてよく、即ち、似ている者六名中の第一位で、原判示被疑者写真では激怒している感じが欠けているが、その点を除けば大変良く似ている、(右被疑者に鉄帽のみをかぶらせ、次には雨合羽をも着用させて対面させたところ)、最も酷似し、写真同様表情が現在では穏やか過ぎる欠点があるが、それも緊張したならば恐らくあの加害者と同じようになると思われる旨供述していること、

(2) 右被害者は、原裁判所受命裁判官に対し、加害者の年恰好、服装等につき、加害者は年令二十二、三才で、黒いヘルメツトをかぶり、雨合羽を着用し、ベルト附半長靴をはき、白い軍手をはめていた旨供述するに対し、右被疑者は、同裁判官に対し、自分は昭和八年生(昭和三十五年当時二十七才)で、顔形や体格も昭和三十五年当時と現在とでは特段の違いはなく、本件当時鉄帽をかぶり、雨合羽を着用し、ゴム底革製半長靴をはき、白い軍手をはめていた旨供述し、両者がほぼ一致していること、

(3) 右被害者は自己の被害状況につき、同裁判官に対し、自分は首相公邸前の車庫(原決定書添附の国会附近図表示の車庫D)沿いに駐車中の一台目の自動車(同図表示の車庫C寄り、即ち北寄りに駐車せる自動車)と車庫Dの塀の間を通り抜け、次の二台目の自動車(同図表示の総理府寄り、即ち南寄りに駐車せる自動車)との間に出たところ、同所において、警察官から、先ず顔面、鼻、口部を軍手をはめたままの手拳で殴打され、次いで瞬時の後左腰部を蹴り上げられた旨供述するに対し、右被疑者は自己の行動経過につき、同裁判官に対し、自分は国会構外へ進出してから南通用門前、車庫(同図表示の車庫A、B、C)前を経て首相公邸前角の巡査派出所(同図表示の<×>印の地点)前までしか行つていない、そこまで行つたが所属第二中隊が何処へ行つたか判らなかつたので、一人で同所に佇ずんで中隊が戻つて来るのを待つていた、約五分間待つていると特許庁方面から中隊が引き揚げて来たので復帰したまでであり、右巡査派出所と道路をはさんで反対側になる車庫(同図表示の車庫D)側へは行つていない旨供述しているが、

原決定が指摘しているごとく、右被疑者の検察官に対する供述調書、出動警察官調査票、人権調査書、出動警察官答申書、原裁判所及び原裁判所受命裁判官による被疑者質問調書中の同人の供述記載中には首肯し難い点が多々あるのみならず、同人が所属中隊の戻つて来るのを待つて佇ずんでいたという前記巡査派出所(同図表示の<×>印の地点)前と、右被害者が被害場所であるという車庫(同図表示の車庫D)沿いに駐車中の二台の自動車の中間とは、約二十米離れているに過ぎず、しかも、右被疑者が右巡査派出所前において所属中隊の戻つて来るのを待つて約五分間無為に佇ずんでいたというごときは、一件記録上からも明白な当時の緊迫混乱せる異常事態にかんがみ、警備警察官の行動として容易に理解し難く、その約五分間における同人の行動も記録上明らかでないこと

が看取されるから、叙上の限りにおいては、被疑者(156)宮田が被害者(9)高橋の主張する顔面及び腰部各打撲の被害事実に対応する加害者として特定されたものと認め得べきがごとくである。

しかし、翻えつて、

(1) 被害者(9)高橋は、顔面及び腰部の打撲傷につき自己に対する加害者を特定づけるに当り、検察官に対する供述調書中においては、自分に暴行を加えた警察官の人相や特徴は口では一寸言えない、辺りも暗かつたし、自分自身気が動転していたので判然した記憶がない旨供述しているのに、次いで人権調査書中においては、人相、特徴等を具体的に言葉で表現することは困難であるが、面通しをすれば判るかも知れない旨供述し、更に原裁判所及び原裁判所受命裁判官による証人尋問調書中においては、前記のごとく、如何にも被害当時に加害者の人相、年恰好、服装、着用品等細部の点までこれを識別し、その記憶ないし印象が鮮明であるかのような供述をなし、被害当時から順次に時日が経過し取調が繰り返されるに従つて、加害者を特定づけるについての供述が漸次具体化明確化された傾向を示していること、

(2) 原決定が指摘しているごとく、右同人の検察官に対する供述調書、人権調査書、民事々件における原告本人尋問調書、原裁判所及び原裁判所受命裁判官による各証人尋問調書中の各供述記載は、加害者を特定づける点において変転極まりなく、そのいずれを措信して良いのか輙く判定し難いこと、

(3) 更に右同人は、顔面及び腰部打撲の被害前後の状況につき、原裁判所受命裁判官(第三回)及び原裁判所による証人尋問調書中において、従来の一貫しない供述を整理した正しい供述であるとして、一台目の自動車(前掲北寄りに駐車せる自動車)と二台目の自動車(前掲南寄りに駐車せる自動車)との間で、先ずその中間地点と首相公邸前十字路の中央部とを結んだ線上の方向(概ね西北方)から二名の制服警察官が来て「お前が煽動しやがつたな、よこせ」と言つて、別々に両手をとり、腕章及び携帯用電気メガフオンを奪つた、次いで首相公邸の門(特許庁方面へ通ずる道路に面した門)の方角(概ね西南方)から現われたもう一名の警察官が加わり、この三名の警察官のうち誰かが「法政大学の野郎(又は奴)が何だつてこんな所をうろうろしてやがるんだ」と怒鳴つた瞬間、後から加わつた警察官が「生意気な」と言うと同時に、白い軍手をはめた手拳で顔面、鼻、口部を殴打した、暫くして右道路上を隊伍を組んだ警官隊が通過して行く際、その列内から「そんなことをしろとは言われんぞ、やめろ」という声が投げられた、それを聞いて、後から加わつた警察官が舌打ちするや左腰部を蹴り上げた、それから、最初に近寄つて来た二名の制服警察官が自分を衆議院通用門の方へ連行した旨供述し、

(甲) 最初に近寄つて来た二名の警察官、即ち被害現場の概ね西北方から来て、腕章及び電気メガフオンを奪い、衆議院通用門の方へ連行した警察官はいずれも制服警察官であつたというのであるが、記録に徴すると、その二名の警察官は警視庁公安部公安第一課員巡査(当時)雨宮正雄及び同京谷茂であると認められるところ、民事々件記録中第九回口頭弁論期日における証人雨宮正雄尋問調書によれば、右両巡査は当時いずれも私服姿であつたことが明白であり、

(乙) 後から加わつた一名の警察官、即ち被害現場の概ね西南方から来たもう一名の警察官が顔面、鼻、口部を殴打し、左腰部を蹴り上げた加害者であり、被疑者(156)宮田がその加害者に酷似しているというのであるが、右同人が叙上の方角へ行つていたと認めるべき証拠も、将た又前掲一台目の自動車と二台目の自動車との間に立ち入つたと認めるべき証拠も記録上これを見出し難く、

(丙) 前記道路上を隊伍を組んで通過して行つた警官隊の列内から「そんなことをしろとは言われんぞ、やめろ」という声を投げた警察官は、眼鏡を掛けており、原判示被疑者写真中(42)関一及び(47)川中義雄のうちいずれか一名がその警察官に似ているというのであるが、右両名に対する原裁判所受命裁判官の質問調書によれば、同人らはいずれも五機隊本部付操車係として、当時国会構内に駐車中の車両内若しくはその附近にいて、車両の看視に従事し、国会構外における部隊行動には参加せず、且つ当時いずれも眼鏡を掛けていなかつたことが認められ、

右被害者の供述する被害前後の状況は事実とかなり相異し、同人の供述は信用性に乏しいこと、

(4) なお右同人は、前記証人尋問調書中において、顔面、鼻、口部を軍手をはめたままの手拳で殴打されたため、その個所が腫れ、左上顎を中心にして左頬にかけ軍手の痕が痣のようにずつと残り、二週間位で消えた、同年(昭和三十五年)六月十七日関東労災病院へ移る時顔は、やはりゆがんだようで痣があつた、左腰部を蹴り上げられて打撲傷を受け、二月位は半分びつこをひくみたいにして歩かなければならなかつた旨供述しているが、記録によれば、事件直後の六月十六日右同人を診断した医師安田栄一作成の診断書中には、病名として胸部打撲傷を掲げているに過ぎず、その余の傷病名については何らの記載がなく、その翌十七日入院した関東労災病院の医師神蔵寛次作成の診断書中にも、やはり顔面打撲傷についての記載がなく、また事件直後の診断医安田栄一作成の診断書中には記載されていない腰部打撲傷が新たに追記され、梅田昌博作成の調査報告書中には、医師神蔵寛次より、高橋信一郎が訴える腰部打撲については、負傷後日時が経つているため何に因つて負傷したものか判断できない旨の事情聴取をしたと記載されてあり、以上を総合すると、右本人がその主張のごとく本件の機会に顔面及び腰部に打撲傷を負つたという事実自体が明確でないこと、

を彼此勘案すると、被害者(9)高橋が本件の機会に、その主張するような状況の下に、五機隊所属の警察官から顔面、鼻、口部を殴打され、左腰部を蹴り上げられ、因つてその主張するような傷害を受けたという事実を認定するに躊躇せざるを得ず、従つて、右同人の主張する顔面及び腰部打撲の受傷事実に関する限り、被疑者(156)宮田頼芳を含む五機隊所属の警察官につき、犯罪の嫌疑があるかどうかを審案する余地はないことに帰するものといわなければならない。

(四)  (340)山口俊毅は、被害者らのうち(37)野村が背後から書類袋を掴まれ、足払いを掛けられ、投げ飛ばされた暴行につき自己に対する加害者に似ていると指示する警察官である。

記録に徴すると、右被害者は、右被疑者と対面の結果加害者に七十パーセント位似ている旨供述し、その似ていると見る度合は相当高度のものであるが、他方また右被害者は、原裁判所受命裁判官に対し、右被疑者が加害者であるとまでは断定できない旨供述し、なお当該加害者は雨合羽を着用していなかつたようであるというのに対し、右被疑者は同裁判官に対し、当時雨合羽を着用していた旨供述するほか、右被害者と覚しき人物に遭遇した事実さえない旨供述し、右供述がことさら自己の加害行為を隠蔽しようとする虚偽のものであると疑うべき証左も存しないから、彼此勘案すると、被疑者(340)山口を目して被害者(37)野村の本件暴行の被害事実に対応する加害者であると認定することはできない。

第三、次に、記録によれば、被害者らのうち、(1)(但し、傷害につき)、(6)(但し、頭部及び右手部打撲傷につき)、(9)(但し、顔面及び腰部打撲傷につき)、(18)(但し、頭頂部割創につき)、(27)、(33)、(36)、(37)(但し、背後から書類袋を掴み、足払をかけ、投げ飛ばされた暴行につき)、(38)(但し、右前頭部打撲傷につき)、(40)(但し、左頬部打撲裂傷につき)、(44)(但し、右肩部打撲傷につき)、(45)、(47)、(48)(但し、左足及び腰部打撲傷につき)、(56)、(61)の各被害者は、いずれも自己に対する傷害ないし暴行の加害者を特定づけるについて、原判示被疑者写真の中から加害者に似ている者数名を選別指示し、その指示した被疑者ら本人に対面のうえ、その一部の者をやはり自己に対する加害者に似ている者として指摘しているのであるが、右被害者らのうち、

(一)  (9)高橋に関しては、同人が本件の機会に、その主張するような状況の下に、五機隊所属の警察官から顔面、鼻、口部を殴打され、左腰部を蹴り上げられ、因つてその主張するような傷害を受けたという事実を未だ認定し難いことは既に説示したとおりであり、また(18)凉野に関しては、原決定が判示しているごとく、前顕頭部割創の受傷原因さえ不明確であるから、右両名の主張する叙上受傷事実に関する限り、先きに検討を加えた被疑者(27)山頭修一及び(156)宮田頼芳は固より、右被害者らがそれぞれ自己に対する加害者に似ていると指示する被疑者(61)早野隆、(92)入佐喜芳、(368)山口正男、(401)小池秀治をも含む五機隊所属の警察官につき、犯罪の嫌疑があるかどうかを審案する余地はない。

(二)  その余の被害者らに関しては、同人らが叙上被害事実につきそれぞれ自己に対する加害者に似ていると指示する被疑者らが、原判示のごとく、いずれも関係被害者らの各供述に照応しない趣旨の供述をしていることは兎も角として、

(甲)

(6)山口の指示する被疑者(14)森山衛、(197)井川忠二、(277)小川昭吉、(288)高橋義孝、(289)谷古宇文男、(385)野北治夫、

(27)高野の指示する同(385)野北治夫、(402)野村五郎、(427)岩渕都記男、

(38)石崎の指示する同(319)佐藤康徳、(351)川上与志男、

(47)高井の指示する同(131)清水光男、(247)鈴木忠、

(56)小沢の指示する同(27)山頭修一、(177)船津輝隆、

(61)山本の指示する同(191)金子稔、(376)熱海勇

の計十六名のうち、

(27)山頭が被害者(56)小沢の本件被害事実に対応する加害者として明確に特定されたものと断じ難いことは既に述べたところであり、

(14)森山、(197)井川、(277)小川、(288)高橋、(289)谷古宇、(385)野北(但し、被害者(6)山口との関係において)は、右被害者が同人らと対面の結果加害者に似ていると見る度合は精々約三十パーセントを超えない極めて低いものであるのみならず、そもそも右被害者は、原裁判所受命裁判官の面前において、加害者を特定づけるにつき、加害者がどんな顔であつたか現在では殆んど覚えていない、自分としては本件被疑者写真中の者と直接対面してみても、そうすることが全然無意味であるというのではないが、加害者の顔を覚えていないので、その中から加害者を特定することは不可能に近いと思われる旨極めて自信のない供述をしており、

(385)野北(但し、被害者(27)高野との関係において)、(402)野村、(427)岩渕は、右被害者が同人らと対面の結果供述しているごとく、三名共顔付は半分位加害者に似ているが、いずれも背丈が可成り低い等体格に特定上の難点があるほか、そもそも右被害者は検察官に対する供述調書中においては、後ろから蹴られたのでどの警察官が蹴つたか判らない旨供述している位であり、

(319)佐藤、(351)川上は、被害者(38)石崎が同人らと対面の結果加害者に似ていると見る度合は僅か二十パーセント位という殆んど採るに足らない低度のものであり、

(131)清水、(247)鈴木は、原決定の指摘するごとく、同人らを加害者として特定づけるについての被害者(47)高井の供述自体がそもそも明確を欠き、信用性に乏しく、

(177)船津については、先きに(27)山頭(但し、被害者(56)小沢との関係において)に関し述べたところと概ね同一の理由により、

(191)金子、(376)熱海については、被害者(61)山本が同人らと対面の結果いずれにしても加害者に感じが似ているという程度で、同人らが加害者であると断定することはできかねる旨供述するほか、記録によれば、(191)金子は南通用門以南へ進出して本件被害現場である車庫(原決定書添附の国会附近図表示の車庫A)前へは行かなかつたものと認められ、(376)熱海は、右被害者の供述と異なり、当時雨合羽を着用していたものと認められるから、

結局以上の被疑者らは、いずれも右被害者らの本件被害事実に対応する加害者として明確に特定されたものとは断じ難いことに帰する。

(乙)

(1)福井の指示する被疑者(273)霜山武二、

(6)山口の指示する同(155)金田大造、

(36)佐藤の指示する同(306)阿久津晃、

(37)野村の指示する同(340)山口俊毅、(369)橋本正利、

(38)石崎の指示する同(219)恒松義春、(278)友竹義、(286)宮本喜代雄、(388)安島光男、

(44)柴岡の指示する同(438)樋口四郎、

(45)早川の指示する同(223)伊東竜鳳、

の計十一名のうち、

(340)山口俊毅を目して被害者(37)野村の本件暴行の被害事実に対応する加害者であると認定するを得ないことは既に述べたところであり、

その余の十名については、

(273)霜山が雨合羽を着用し、身長が低過ぎること、

(155)金田が標識提灯を携行せること、

(306)阿久津が雨合羽を着用し、若過ぎること、

(369)橋本が雨合羽を着用し、楯を持つていたこと、

(219)恒松が雨合羽を着用せること、

(278)友竹、(286)宮本が雨合羽を着用し、身長が低過ぎること、

(388)安島が雨合羽を着用し、指揮者ではなく一般分隊員であつたこと、

(438)樋口が雨合羽を着用し、ハンカチーフでマスクをしていたこと、

(223)伊東が眼鏡を掛けていたこと

が、右被疑者らに対する原裁判所受命裁判官の各質問調書及び被害者(1)福井、(36)佐藤、(38)石崎に対する同裁判官の各証人尋問調書によつて認められ、被害者らが明確に指摘する加害者らの特徴の点において明らかに被害者らの供述するところと一致を欠き、且つ、被疑者らの右供述が必ずしも責任回避の意図から出たものとも断じ難いから、以上の被疑者らを目して右被害者らの本件被害事実に対応する加害者であると認定することはできない。

(丙)

(33)土生の指示する被疑者(235)金森三郎、

(38)石崎の指示する同(205)福吉繁喜

の計二名については、記録によれば、同人らは南通用門以南へ進出して本件各被害現場である車庫(原決定書添付の国会附近図表示の車庫B及びD)前へは行かなかつたものと認められるのみならず、右被害者らの供述と異なり、(235)金森は当時雨合羽を着用し、(205)福吉は指揮者ではなく一般分隊員であつたと認められるから、右被疑者らもまたこれを目して右被害者らの本件被害事実に対応する加害者であると認定することはできない。

(丁)

(33)土生の指示する被疑者(20)馬場鉄郎、(81)成沢忠彦、

(40)井上の指示する同(400)千葉勇三、

(44)柴岡の指示する同(60)柳田礼爾、

(45)早川の指示する同(296)舟木克美、(359)折本啓、

(48)芝田の指示する同(320)松尾義行

の計七名については、右被害者らが同人らと対面の結果加害者に似ていると見る度合は、低いもので約四十パーセント、高いもので約九十パーセントに達する相当高度のものであり、服装の点も一、二の例外を除いては概ね一致し、且つ、記録によれば、右被疑者らが本件各被害現場へ行つているか若しくはその附近を通過していることも認められるが、そうかといつて、同人らの当時の行動経過についての各供述が、ことさら自己の加害行為を隠蔽しようとする虚偽のものであると断定すべき証左も存せず、なお記録に徴すると、

被害者(33)土生は、検察官に対する供述調書中においては、自分を蹴つた警察官の顔は覚えていない旨供述し、原裁判所受命裁判官に対しては、被疑者(20)馬場、(81)成沢が加害者であると断定はできない旨供述し、また右被害者の供述と異なり、被疑者(20)馬場は当時雨合羽を着用していたものと認められ、

被害者(40)井上は、検察官に対する供述調書中においては、自分を殴つたりした警察官の人相や特徴は、夜で暗くはあつたし夢中であつたので覚えていない旨供述し、

同(44)柴岡は、原裁判所受命裁判官に対し、被疑者(60)柳田は体格的な面では背丈が高過ぎるように思うし、加害者に似ている感じは五十パーセント以下である旨供述し、

被害者(45)早川は、原裁判所受命裁判官に対し、被疑者(296)舟木、(359)折本は二名共加害者よりふけて見える感じがする旨供述し、なお右被害者の供述と異なり、被疑者(359)折本は当時、終始、楯を持つていたものと認められ、

被害者(48)芝田は、原裁判所受命裁判官に対し、自分の左腕をとり前の方へ引きずり込むようにして自分を転倒させた加害者は、手拭を顎から頸にかけて巻いており、それは丁度手拭でマスクしたのがずり落ちたという恰好であつた旨供述するに対し、被疑者(320)松尾は、同裁判官に対し、国会正門横から出動する際はマスクをしていたが、道路上に出て北門から斜め左、歩道上で中隊が整列した時にマスクをとつて合羽のポケツトの中に蔵つた旨供述しているのであり、

なお記録を精査しても、右被疑者らが右被害者らの本件被害事実に対応する加害者であると認定するに足るべき証左は存しない。

第四、更に、記録によれば、被害者らのうち、(1)(但し、単なる暴行につき)、(2)ないし(5)、(6)(但し、背部打撲傷につき)、(7)、(9)(但し、右肩胛骨皮下出血につき)、(10)ないし(17)、(18)(但し、鼻根部挫創、口唇部挫創、右大腿部打撲傷につき)、(19)ないし(26)、(28)ないし(30)、(32)、(34)、(35)、(37)(但し、右後頭部裂傷並びに警棒様のものによる右肩胛部殴打及び右腰背部に対する足蹴につき)、(38)(但し、腹部、右腰部、右大腿部及び右下肢打撲傷につき)、(40)(但し、右頬部打撲裂傷、鼻出血及び単なる暴行につき)、(41)ないし(43)、(44)(但し、上腹部打撲傷につき)、(46)、(48)(但し、左肩部打撲傷につき)、(49)ないし(51)、(54)、(55)、(57)ないし(60)、(64)ないし(68)、(70)ないし(72)の各被害者は、自己に対する単なる暴行ないし傷害の加害者を特定づけるについての供述自体が明確を欠くか、或は背後から暴行を受けたため、暗夜で混乱状態であつたため、瞬間的な出来事であつたため、暴行を避けるのに夢中で若しくは衝撃に因り気が動転して加害者を見定める余裕がなかつたため、加害者は皆同じような恰好をしていて之という特徴がなかつたため等の理由により、加害者の人相、体格、年恰好、服装、装備品等加害者を特定づけるべき特徴を識別しえず、又はそれについての記憶や印象がないか若しくは稀薄である結果原判示被疑者写真を見るまでもなく加害者を特定することができない旨又は原判示被疑者写真を示されこれを閲覧検討しても加害者を指示することができない旨或は原判示被疑者写真中から加害者に似ている者として指示した被疑者と対面する機会を与えられてもそれは加害者に該当しない旨供述し、更に右被害者らの一部に対する加害行為を目撃したという受傷者(12)浜本、(13)山崎、(17)大須賀きく、(23)宮本、(27)高野、(45)早川、(56)小沢、(64)守武、(70)大須賀哲夫、(82)斎藤、(124)柴野、(128)辻川並びに証人清水美智子、同山崎敏光、同畠山英高、同鈴木利男もまた概ね右と同様の理由により、右被害者らに対する加害者を的確に指示することはできず、記録中その余の証拠を以てしても、右被害者らの本件被害事実に対応する加害者を特定しうるに至らない。

なお記録によれば、受傷者(26)佐藤、(32)野田、(60)鈴木並びに証人吉田一、同石原康久、同小俣和夫、同窪田康夫、同川崎忠文は、いずれも原裁判所受命裁判官に対し、大研研の一部に対する五機隊所属の警察官による加害行為を目撃した旨供述し、その加害者に似ている警察官を指示しているが、その被害者がなんぴとであるかを詳かにしていないから、同人らの叙上各供述は未だ以て本件計六十四名の被害者の被害事実に対応する加害者を特定づける資料とはなり得ない。

しかして、五機隊所属の警察官四百四十四名中第一掲記の国会構外における排除活動に参加しなかつた計二十七名を除く爾余の四百十七名の全員が共同して本件計六十四名の被害者に対して暴行及び傷害の所為に及んだものと認めるに足りる証拠は、記録中これを発見するに至らない。

第五、叙上のごとく、昭和三十五年六月十六日午前一時過頃被疑者(1)末松実雄指揮下の五機隊がいわゆる第三次実力行使を実施するに当り、五機隊が国会正門脇から国会構外へ進出し、恩給局横より北門及び南通用門前を通過し、車庫前及び首相公邸前十字路を経て、総理府前から特許庁方面に至る道路上の群衆を排除する部隊行動をとつた際、右道路上、特に車庫前附近において、五機隊所属の警察官四百数十名と大研研の約三百名とが遭遇し、その機会に、別紙被害者名簿記載の(1)ないし(7)、(9)ないし(30)、(32)ないし(38)、(40)ないし(51)、(54)ないし(61)、(64)ないし(68)、(70)ないし(72)の計六十四名が五機隊所属の警察官から、警棒その他これに類する持物又は手による殴打を加えられ又は足蹴にされ若しくは足払いを掛けられる等の暴行を受け、因つて(71)を除く爾余の計六十三名が別紙被害事実一覧表中傷害の部位と態様、同上加療日数欄に記載せるごとき傷害を受け(なお、そのうち(1)、(2)、(5)、(10)、(12)、(16)、(20)、(21)、(24)、(30)、(32)、(35)、(37)、(40)、(42)、(59)、(64)、(67)、(72)の計十九名は、右傷害に加え単なる暴行の被害をも受け)ているのであるが、かかる暴行及び傷害の所為に出た加害者が五機隊所属の警察官(1)ないし(444)の計四百四十四名の全員ではないが、そのうちのなんぴとであるか、これを個別的に特定することができないことは既に説明したとおりであり、また記録を精査しても、右の加害者が某小隊、某分隊というごとき特定できる一部の範囲の者であると認定するに足りる証拠も存在しない。

しかして、五機隊所属の警察官計四百四十四名中、

(259)石川及び(357)菅野の計二名は、原決定が適法に確定しているごとく、本件後死亡しており、

(6)川下、(11)千葉、(16)加藤、(18)山本、(24)柳、(36)印藤ないし(55)満井、(68)藤本、(228)名達の計二十七名につき、右加害行為の実行正犯ないし共謀共同正犯としての犯罪の嫌疑がないことは既に述べたところであり、

残る(1)末松以下の計四百十五名につき、その全員若しくは特定できる一部の範囲の者が、本件排除活動に当り、大研研に遭遇する前に、本件暴行及び傷害の所為に出ることを打ち合わせ又はその他の方法により謀議し並びに大研研に遭遇した後に、その現場において、本件暴行及び傷害の所為に出ることを共謀したと認定するに足るべき証拠を記録上発見しえないことは、まさに原決定の説示するとおりであるから、右の計四百十五名中のなんぴとに対しても、本件暴行及び傷害の事実につき共謀による刑事責任があると断ずることはできない。

因みに、傷害の結果を生じない単純な暴行は論外として、二人以上で暴行を加え因つて人を傷害した場合において、その傷害を生ぜしめた者を知ることができないときは、その暴行者らはたとえ共犯でなくとも、いわゆる同時犯として共犯に関する規定の適用を免がれることはできないのであるが(刑法第二百七条参照)、同条の規定は、特定の二人以上の者が暴行者であることが証拠上明白な場合に限つて適用されるのであつて、多数人のうちなんぴとが暴行者であるのかを個別的には勿論のこと、一定の範囲に限つても特定することができない場合には適用されないのである。

されば、本件のごとく、五機隊所属の警察官四百数十名の全員ではなく、そのうちのなんぴとかが大研研に暴行を加え、因つて傷害の結果を生ぜしめた事実は明白であつても、その暴行者がなんぴとであるかを個別的に特定することができず、また某小隊、某分隊というごとき特定できる一部の範囲の者であると認定することもできない場合においては、同時犯に関する規定を適用する余地もまた存しない。

しかして、被疑者藤沢三郎は警視庁第一方面本部長であり、同庁警備部長たる被疑者玉村四一の許可を受けて五機隊長(1)末松実雄に対し、いわゆる第三次実力行使の実施を下命した者、被疑者玉村四一は右下命を許可した者、同小倉謙は警視総監として本件警備活動の最高責任者たる地位にあつた者であるが、右被疑者らが本件警備活動の実施に当り、不法、不当な実力を行使することを企図し、本件暴行及び傷害の所為に出ることを被疑者(1)末松実雄以下の五機隊所属の警察官に命令し若しくは右警察官と共謀したと認定するに足るべき証拠を記録上発見し得ないことは、これまた原決定の説示するとおりである。

要するに、原裁判所の審理の迹を仔細にたずねても、これ以上に尽すべき審理の方途を考按しえないと共に、その審理に基づく判断は相当と認められるので、本件被疑者らについては、事件を裁判所の審判に付するに足るべき犯罪の嫌疑がなく、原決定には何ら審理不尽、事実の誤認は存せず、従つて、抗告理由第二の二の(二)もまた理由がない。

よつて、刑事訴訟法第四百二十六条第一項後段に則り本件抗告を棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 坂間孝司 栗田正 有路不二男)

(一)抗告人名簿、(二)抗告状、(三)被疑者名簿、(四)被害者名簿、(五)被害事実一覧表(略)

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